読むほどに面白い「生きがいの創造」魂の起源とは
今月は少し変わったテーマの本をご紹介します。この本に出会ったのは十風堂を開業した平成24年だったと記憶しています。なぜそんなにはっきり覚えているかというと、開業前にモニターとしてきていただいていた患者さんから開業と同時に読んでみたら?と勧められて読んだからです。
当時は単行本サイズで大きな本でした。今は文庫サイズで出ているので手に取りやすい大きさなのですが、恐ろしく分厚くて940ページくらいあります。
初めて読んだ時の感想は興味深い本だな〜くらいでした。
内容が輪廻転生のお話で、人は何度も生まれ変わり成長していくのだということでした。子供達の中には生前記憶というものを持っている子供もいるようで、生まれる前はどこにいたとか、自分の意思で生まれてきたなどと書いておるので、摩訶不思議な世界観があるもんだ!と思う程度でした。
その後、その本はBOOKOFFに売ったか、誰か興味ある人にあげたと思います。
それから時が過ぎて13年経ち、今年の9月に東京からの出張の帰りに京都のヨドバシカメラの最上階にある本屋さんで、文庫版の完全版生きがいの創造を見つけてしまいました。
3cm5mmもある分厚い本。でも、なんとなく興味が湧いてもう一度読んでみようという気持ちになったのです。
その本の裏表紙に以下のような要約が書いてありました。
「欧米や日本で多くの科学者、医者、大学教授たちによって研究され、驚くべき報告がなされている。死後の生命や生まれ変わりに関する研究。著者は、その研究成果の数々を踏まえながら、自身の体験も交え、人生の仕組みを明らかにする。
本書は死後の生命や生まれ変わりを認めると私達の生き方はどのように変わっていくのか?という命題に迫る、画期的な科学的スピリチュアル人生論」
ふむふむ、確かに、死後の世界観は気になる。死んだらどうなるのか?も気になる。
以前読んだイエール大学の教授が書いた「Death」という死にまつわる本も読んだことがあるがそこに書かれているのは、死んだら無になるだけでそれでおしまいだということだった。
ホーキンス博士も死んだら人は灰になるだけだといっていた気がする。
確かに、人は死んだら生命活動は終了してテレビのスイッチを切るように人生を終わらせるという考え方もある。その考え方を唯脳論という。僕もどちらかというとそちらの考えだった。
以前から好きで読んでいて今でもよく読む斎藤一人さんの本でも人は何度も生まれ変わって魂の修行をするんだよって書いてあったからその言葉を信じていたけど、このイエール大学の教授が書いたDeathという本を読んでからは人は死んだらそれまでという考え方に納得していました。
なぜなら、その方がこの世は有限なんだから一生懸命生きようよ!っていう気持ちになりますし。人生に意味なんかなくて自分が楽しく過ごせることに全力を出して突き進もうよ!って考えれるからです。その方が救いがなくて自己責任で生きていけるだろうと。
ただ、この唯脳論的考え方はキリスト教文化を色濃く反映している考えです。
キリスト教には輪廻転生という考えは4世紀にローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を公認する際に聖書からその教えを排除し認めなくなっています。
その後の哲学者もその考えを尊重して思想を展開しています。
ですので死んだらそれまでという考え方も広まったんだと思います。
しかしそれ以前の旧約聖書や新約聖書には書いてあったと言います。仏教にも輪廻転生の考えがあります。そのような背景を踏まえて両方の考えを取り入れた状態で、もう一度フラット思考でこの「生きがいの創造」を読んでみようと思ったのです。
なぜかというと、この著者の飯田史彦さんもバリバリの唯脳論者だったというから、僕と同じだなと共感したのもあります。さて、前置きが長くなりましたが、この本のテーマの一つ死生観と生まれ変わり現象いうのは誰もが気になるテーマだと思うのです。
僕は患者さんの健康を扱う仕事をしているので、できる限り皆さんの苦痛、苦悩を取り去ってあげたいなと考えていますから、どうしても死というテーマを身近に考えてしまいます。
特に何人か若くして亡くなられた患者さんもいますので、もっとできることがあったんじゃないか?とか、もっと何か伝えてあげれることがあったんじゃないかと沢山後悔しました。
そんな中でこの本を読み始めて感じたのは、やはり僕は今の人生を自ら選んで生まれてきたんだなと言うことです。もうそれが全てかなと。人はこの地球生活では何を成し遂げるにも時間がかかり、思い通りにならないこの人生から何かを学ぶために生まれてきた、と考えることが自分自身を成長させ、次の人生に繋げていくんだなと思えてきました。
なぜ本を読んだだけでそう思えるのかというと、とても沢山の事例が紹介されていたからです。実際に人は何度も生まれ変わるのかなんて、死んでみないとわからないのですが、何度も生まれ変わり、自分で自分に課した課題を克服することで魂を成長させていく。その考えを受け入れてみることで、多くの人の心が癒され前向きに生きていけるようになったと言う事例が数多くあるからなんです。
では、どんな事例が紹介されているかというと医療の現場では多くの臨死体験が報告されています。死にそうになった時、自分の上に浮かんでいた。医者の言う会話を聞いていた。自分を取り囲む親族を見た等々。またそのような事例を多くの科学者が研究しています。
さらにもう一つは退行催眠と言って潜在意識下にある記憶を遡ることで過去の記憶を呼び起こす方法により癒しに繋がった事例です。この過去の記憶を呼び起こす方法は今生の記憶に留まらず前世の記憶も呼び起こすことができるようです。
アメリカの有名は医師でブライアン・L・ワイス博士という方がカウンセリング中に偶然クライアントが前世の記憶を喋り始めたことが研究の発端となったようで催眠療法で前世療法を受けたクライアントは精神的な問題だけでなく、慢性的な痛みや症状がどんどんよくなったようです。
前世があるのか?魂は転生を繰り返し生まれ変わるのか?は、正直信じたいというのが僕の気持ちで、それが本当なのかは僕には分かりません。
ただ、臨死体験や過去生の前世記憶を潜在意識から呼び起こすのは脳の創作であってもいいわけです。
どちらにしても脳の機能により呼び起こされて、その結果、生きることに希望を見出せない人が前向きに生きることができるようになったり。慢性的な不調や痛みに悩まされている人が前世記憶のようなものを呼び起こすことにより痛みから解放されて日々元気に過ごせるようになるなら素晴らしい脳の機能といけるのではないでしょうか?
僕としては輪廻転生という仕組みがあり、退行催眠によりその記憶を呼び起こし自分の生きて来た証を知ることによって不調が消えていく。記憶の断片に対して何を学んだかを見出していくという解釈の方がロマンチックでいいなと思います。
その方が生きることが壮大に思えて、今生きているこの人生の先に、また一つ成長した自分がいて、今回の人生で頑張ったことのご褒美に、成長した自分でまた人生が送れたら幸せかなって考えたりします。
もしそうならこの人生で少しでも誰かの役に立ち、1人でも多くの人を救い、徳を積んで魂の成長ゲームにトライしてみるのも面白いのではないでしょうか?
この生きがいの創造の中で、人は生まれてくる前に自分に課題を与えるそうです。今度はどういう人生を歩んでどんな試練を乗り越えて何を学ぶのかを決めて生まれてくるのだとか。そしてその課題に挑戦するために最適な遺伝子を持った肉体を選ぶのです。
そのためにどの両親の子供として生まれてくるのか選ぶのだそうです。そしてその両親のもとで成長し数々の課題を乗り越えていくわけです。もしうまく乗り越えることができなければ、同じような問題が何度も目の前に現れてくるそうなので、なんとかして合格して次の問題にチャレンジしていくのです。
ただ、その問題は自分で設定した問題なのでちゃんと何らかの形で乗り越えれるようです。解決するのかその問題から何か学びとるのかそれは人それぞれ違うのでしょうけど、自分が作った問題なので解けるようですね。
もし途中で挫折してそのまま人生が終わっても、あの世に帰るとそのことを思い出し、うまく出来なかったから、次の人生でもう一度チャレンジするぞ!と生まれてくるそうなので、できるだけ今生で問題を解いておきたいですね。
誰かに頼るのもありでしょうし、自力で頑張るのもありでしょう。ただその問題にも共通点があってどれも最終的には「愛すること」「信じること」の二つが絡んでいるようです。
もし目の前に何か問題が現れたら、自分でこんな課題を出したのかぁ〜私ってなかなか厳しいやつだよね!でも答えはきっと見つかるはず!チャレンジしてみよう!って思ってみましょう。そして、できれば「生きがいの創造」読んでみてください。生きるのがほんの少し好きになって、ほんの少し面白くなりますよ!