スタッフプロフィール

豊岡カイロプラクティック整体院十風堂院長のプロフィールです。

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豊岡カイロプラクティック整体院十風堂スタッフ

義本 学 (よしもと まなぶ)

整体師
Oneカイロプラクティックスクール修了
レイキマスター(現代レイキヒーリング協会公認マスター)
ナチュラルエネルギーヒーリング考案者

兵庫県美方郡香美町出身(旧城崎郡香住町)
1975年3月2日、3人兄妹の次男として生まれる。
魚座、O型
家族:妻、娘3人(全員成人して今は関東、関西で社会人をしています)

幼少期から小学生まで

小学生までは本当に小さかったです。
運動は得意でしたが幼稚園のかけっこでは女の子に負けてました。どうも勉強が苦手というか、家庭学習が苦手でした。
家に帰るとただ遊んでいたくて宿題は遊んだ後でという感じでした。やらずに行って先生に怒られてことも数知れません。居残りで漢字書取りをさせられたのを思い出します。
この頃は、父親に散髪をしてもらっていました。父曰く「狼カット」と言ってましたがどう見ても「マッシュルームカット」ですよね。きのこです。
小学生の時は、剣道の防具がカッコ良く見えて4年生から剣道を始めました。町内大会で優勝した経験もあります。また陸上もしていて小さいのに走り高跳びをしていました。なぜ走り高跳びをしていたのか?それは兄がやっていて楽しそうだったから。小学6年生で身長は135cmくらいだったと思います。高飛びのバーが目の高さにあったなぁと。ちびっ子でした。

運動だけ頑張った学生時代

これは高校の陸上部所属の時の駅伝大会の一コマ

中学生になっても相変わらず身長は低いままで、入学当時の健康の記録を見ると142cmと書いてありました。

中学生になるとなぜか頭髪は坊主頭にしなければならなくてとても嫌でした。校則がない学校だったにもかかわらず暗黙のルールみたいなのがあって、やってはいけない事のオンパレードでした。部活は野球部と卓球部と剣道部しかなくて野球は先輩と球が怖かったので無難に剣道部に入りました。

ですが、剣道部に所属していたのに陸上部がないにもかかわらず陸上の練習ばかりしていました。

中学の2年生になると異変が起こりました。そうです成長期に突入したのです。1年生から2年生にかけて10cmも伸び、3年生にかけてさらに伸び、卒業を迎える頃には168cmになっていました。

中学生になっても家庭学習ができずに帰っては部活の疲れで寝てばりいました。

高校生になると部活動は陸上部に所属。種目は400m、800m、1,500mの中距離を専門にやっていました。400mは54秒、800mは2分、1,500mは4分20秒くらいなので、平凡な記録でした。練習はそこそこやったけど楽しく部活をやっていた程度だったから練習量がものをいう高校の大会では全然歯が立ちませんでした。
それでも3年間とても楽しく部活をするために学校に通いました。

初めての就職は町役場

高校も3年生になると進路の話になりますよね。僕は当時勉強が大嫌いで、どうにかしてこの現実から逃れることはできないのか?と考えた結果、就職の道を選びました。

就職先は公務員にしようと思い、国家公務員、郵政事務、学校事務、町役場とかたっぱしから受けることにしました。公務員になれば安定して給料がもらえてボーナスが出て、夕方5時になったら帰れると勝手に思っていました。
だから就職するための勉強もこれが最後だ!と思ってガムシャラにやりました。
そして、結果は国家公務員「不採用」、郵政事務「不採用」、学校事務「不採用」、町役場だけ筆記試験をクリアして面接へ!
そして面接で町長に、「諦めて大学に行ってくれ!」と直接言われる。もうこれで終わった。と思ってたら11月に採用通知が届いた!なんと合格!

公務員になって3年間。実は毎日のように辞めたいと思っていました。友達と遊びに行ったりスポーツしたりと楽しい日々を過ごしていましたが、なぜか苦しさを感じていました。単純に新しい環境についていけなかっただけだと思います。

役場に入った最初の担当は医療保険を扱う窓口担当でした。高校を卒業して間もない10代の僕になぜか沢山の「婿養子に来ないか?」オファーがあったのはとても驚きました。田舎のあるあるですかね?

人事異動とありえない研修

役場生活も3年目に差し掛かる頃、僕に転機が訪れました。初めての人事異動です。

僕にはどうしても行きたくない部署が3つありました。それが社会体育担当と総務課と税務課でした。しかし、こともあろう事か配属先は「社会体育担当」でした。町にある社会体育施設でB&G海洋センターという体育館とプールが併設された施設があったのですが、そこに行くことになったのです。

仕事の内容も事務だけでなくインストラクター業もしなければいけないところで超がつくほどハードな現場と聞いていました。決まった瞬間に目の前が真っ暗になったのはいうまでもありません。行きたくないと思っていた所に行くのですから。

行きたくないと思い続けた結果ということは、潜在意識に社会体育担当の情報を刷り込んでいたということですから、ある意味引き寄せの法則が働いたということですね!宇宙は素晴らしいバランスで出来ています。

しかし、この社会体育担当は実際にやってみると今までの仕事とは全く違って、仕事を切り盛りする楽しさ、スポーツや知識を伝える楽しさ、人との出会いの大切さなど沢山学ぶことが出来ました。初めて勉強が楽しいと思える職場でした。

何より大きな経験はB&G海洋センターの指導員資格を取るために東京と山口県で行われた3カ月間の研修でした。まさに血の滲むような過酷な研修です。研修と言うより訓練といったほうがいいですね。全国から40名研修員が集まり、合宿形式で水泳、ヨット、カヌー、救助法、指導法、運動理論、心肺蘇生法の普及員資格、小型船舶の免許まで。この研修のおかげで人として大きく成長することが出来たと思います。今でも当時の教官に会うと背筋がシャキッと伸びますね!

運命の出来事

そんなある日、職場に一人の友人が訪ねてきました。金融機関の営業の仕事をしていた彼はお客さんのところへ向かう途中に腰が痛くなって動けないと言うのです。「夕方までなんとか仕事がしたいから治してくれないか?」と。

僕はスポーツインストラクターではありましたが、治療家ではありません。
でも、悲痛なお願いだったの知る限りの知識を総動員してストレッチやスポーツマッサージを行いました。すると痛みが消えたらしく、元気に仕事に戻っていったのです。

「あれ?」と言うのが正直な感想でした。そうだ!こんな仕事がしたい!これが僕のやりたいことなんだ!と思ったのです。

整体に触れた瞬間でした。

猛勉強の始まり

勉強嫌いだった僕が、好きなことを見つけて一気に勉強のスイッチが入りました。今までは好きでもないことを勉強していたから嫌いだったんだなと気づきました。どうやら僕の性格はのめり込むととことんやってしまう性格のようです。

その後、ホームページを検索したり、本を買ったり、専門書を手に入れたりして独学で勉強を始めました。通信講座にも申し込んで、ビデオテープが擦り切れるまで見て練習したり。セミナーを受講してみたり。

有料道路の料金をケチって下道で200km離れた京都まで勉強に行ったり。いろんなことをしました。

勉強するにつれて、日に日に整体師にへの思いは強くなりましたが、幼い三人の子供のことを考えると安定した職業を捨てるのは怖くて整体の道へ一歩踏み出すことは出来ませんでした。

時々、知人から整体を頼まれて施術をすると言うことを繰り返し、整体ベッドを購入して勉強だけは続けていました。

その後8年間勉強を続け夢を捨てきれなかったので、妻や家族に相談したところ、やっと理解してもらえました。

思い切って公務員を辞め、一人治療院を開業するための最後の仕上げのために東京へ単身整体スクールへ入学しました。

冒険と試練の旅

行った先は、東京です!
生まれて初めての一人暮らし。最寄駅についてアパートまで行こうと思ったんですが右も左もわからない状態で仕方なくタクシーに乗って行ったのを昨日のように思い出します。

滞在期間は最長1年と決めていたので、家財道具は必要最小限にまとめました。一人用のテーブル(コタツ)とノートパソコンと衣類と布団だけ。テレビも何もありません。お風呂にはシャワーカーテンがいるって知らなくて、初日に湯船にしゃがんでシャワーを浴びました。

冷蔵庫も炊飯器も包丁もまな板も何にもない状態です。冷蔵庫は近くのリサイクルショップに行って1万円以下で買える一人用のものを買いました。移動に困らないように9,800円でオレンジの自転車を買い、100均で生活用品を揃え1週間かけて生活できるようにしました。

娯楽がないので、近くのブックオフで一冊100円の本を買って読んだり、近くの堤防を走って運動したり。時間だけは恐ろしいほどありましたので整体の勉強もはかどりました。

スクールに行くと、僕より年下ばかりでビックリです。年下のみんなに教えてもらいながら少しずつ上手くなって行きました。自炊も慣れてきて上手に作れるようになったし、ジュースも買わずお茶を沸かして過ごしたり、頑張った日は88円の発泡酒を飲んでご褒美にしたり。1カ月1万円生活を地でいってましたね。

そんな東京生活も、地元に残してきた家族から「もう生活費が底をつくから帰ってきてくれ」と言われ12月には東京から離れることにしました。

出会いと優しさに感謝して

東京での暮らしの中で共に整体師を目指す多くの仲間に出会えました。僕の生態技術の向上にと臨床先を提供してくれた師匠に一緒に働いたスポーツジムの皆さん。また思ったこと、勉強したことを忘れないようにと東京に来てから書き始めたアメブロを見て「頑張れ!」と言ってくれた全国の整体の先生や読者の皆さんとの出会いは本当に宝物です。

役場を去る時に「ずっと君の応援団だ!」と集まってくれた同級生や同僚に、独立すると相談したら「おめでとう!ずっと力になるからな!」と言ってくれた人生の師匠、一緒に頑張ろうと言ってくれた親友整体師、数々の相談に乗ってくださった先輩整体師の皆さん、「義本さんなら大丈夫!」といつも優しく教えてくれたスクールの先生、そして家族に心の底から全力で感謝します。

僕は本当に出会いに恵まれた人生でした。これからもきっとそうでしょう。そんな思いが詰まった整体院が「豊岡カイロプラクティック整体院十風堂」です。

次はあなたと治療を通じて出会えることを楽しみにしています。さらなるご縁を繋ぐ、温もりある整体院へぜひお越しください。

最近では、ただお話を聞いて欲しいと言われる方もお越しくださるようになりました。十風堂に行くと元気になると言っていただけるよう、これからも勉強を続け研鑽に努めてまいります。

あなたからのご予約お待ちしています。

ご予約はお電話0796-24-6090までお気軽におかけください。

院長 義本の拙著